世界遺産に魅せられて旅した我が家の旅行記。世界七不思議といわれる遺跡は圧巻!

世界遺産を見に行こう!
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世界遺産を見に行こう!マチュピチュと恐怖のペルー大地震

■「ペルー地震・津波」 2007年8月15日(水) クスコ快晴 ⇒ リマ快晴 ⇒ パラカス快晴

ペルーマチュピチュ旅行5日目。
ホテル朝食は4時30分から、集合時間はロビーに5時50分。早朝、クスコを出発してリマへ向かいました。クスコの空港にはお店がわずかにあり、搭乗まで少し時間があったので、ペルーの写真集やチョコ、アルパカ製品などを買いました。ここでガイドのウメノさんと別れ、リマでオノジマさんに再会です。

ペルー地震と津波の被害状況 ペルー地震と津波の被害状況 ペルー地震と津波の被害状況
↑クスコの空港で買ったペルーの写真集と2008年カレンダー。アルパカ製の子ども用カーディガン。すごく可愛いのです!

リマ到着後、私たちはバスに乗って市内観光へ向かいました。まずはリマ市のセントロ、旧市街へ。ここの歴史的建造物は世界文化遺産に登録されており、コロニアル建築様式の教会や宮殿はとても美しかったです。突き出た大きなバルコニーが特徴的で、そこには見事な彫刻が施されています。セントロの中心にあるアルマス広場周辺には、大統領府やさまざまな教会が立ち並び、まるで時代をタイムスリップしたような感覚に陥ります。アルマス広場正面にそびえ立つカテドラル(聖堂)は、インカ帝国征服者フランシスコ・ピサロがリマ建都の際に着手した、ペルーで最も古いカテドラルです。その後訪れた国立人類学考古学歴史学博物館では、さまざまな展示品を見ながら、インカ帝国時代からのペルーの歴史とナスカの地上絵などの文化について、詳しく話を聞かせてもらいました。

世界遺産を見に行こう!リマ市内 世界遺産を見に行こう!リマ市内 世界遺産を見に行こう!リマ市内 世界遺産を見に行こう!リマ市内 世界遺産を見に行こう!リマ市内
↑バスから見えたリマの町並み。ネスレのアイスクリームショップやスターバックスもありました。建物がカラフルできれい!

続いては、海岸沿いにある新市街、ミラフローレス地区へ向かいました。セントロからバスで約30分ほどです。海岸沿いには、リマでも有名な高級レストランが立ち並び、海を眺めながらペルー料理をいただくことができるようです。この日も快晴で、海がキラキラと輝いていました!ミラフローレスには、恋人達の公園という面白い海岸公園があります。なんと公園の真ん中に、恋人同士が抱き合ってキスする巨大なモニュメントが置かれているのです!すごい発想だわ〜。公園内もきれいに整備されていて、花々が美しく咲いています。あ〜あ、ここでもたくさんの写真を撮ったのになぁ・・・。紹介できず残念!

その後、今リマで大人気という、大きなチキンとたっぷりのポテトを食べさせてくれるレストランで昼食をとり、パジェスタス島観光拠点のパラカスへ移動しました。

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↑パラカスへ向かう道路からの眺めはこんな感じ。砂におおわれた大地と低い山が見渡す限り続いています。そして途中、土壁に板と藁を組み合わせたような小屋がいくつも見られました。

※ここから地震と津波の話になります。写真もなく長いので、程々に読み飛ばしていってください。

日もすっかり落ち、パラカスのホテルに到着したのは18時過ぎのことでした。長時間バスに揺られて疲れてもいました。チェックイン後は各自部屋に案内してもらい、19時30分に中央レストランに集合ということになりました。部屋は1階、外に出るとすぐそこに海が広がっています。私たちも部屋に入って荷物を置き、とりあえず横になってくつろぎました。その時見た時刻は18時30分でした。

私は靴を脱いでベッドに横になり、テレビのチャンネルをカチャカチャと動かしていました。夫は携帯を持ってお手洗いにいました。と、その時です。グラグラと横に揺れを感じました。「あれ?」と思っているうちに揺れはどんどん大きくなって、振動と共にミシミシと建物全体から音が鳴り響き始めました。「きゃ〜!」と叫ぶやいなや、夫がお手洗いから飛び出し、一直線に走って部屋のドアを開けました。私は気が動転してしまい、なぜか靴をはこうとベッド脇で必死になっていたら、部屋の上部に固定されていた大型テレビが思いっきり落ちてきたではありませんか!その間も地面ごとユサユサと大きく揺れ続けています。私の頭の中は、「パッカリ割れた地面とそこに落ちていくこのホテルと自分たち」みたいな画ができあがっていて、もうパニック状態でした。

外に出たら他の部屋からも皆さん出てきていて、物が壊れる音と悲鳴が聞こえてきます。そのうちに、電気が一斉に落ちて辺りは真っ暗に!ひょえ〜。地鳴りのようなものも聞こえ、怖くて震えが止まらずにいると、一組のご夫婦の奥さんが手をつないでくれまして、その優しさに感激(泣)。とその時、後ろで夫が「津波!津波が来るぞ!」と叫んでいるではありませんか〜!つ、つなみ〜???そんなことより、この揺れが収まらなきゃ地面が割れて死んじゃうよ、なんて思いながら、揺れる地面に手を置いて祈っていたら、ようやく揺れが収まったのです。
※災害調査報告書によると、今回の地震発生時刻は18時41分、M8.0の激しい揺れは約2分ほど続いたとのこと。ペルー政府からは死者510人と発表されています。私も、これでおしまいかと泣けてきたほど恐ろしかったです。

すると、「とりあえずパスポートだけは必ず持ってきてください!他の荷物は置いてきてください!」との声が聞こえ、暗闇の中、緊急避難することになりました。(この時、部屋に置いていった荷物の中にデジカメがあったのです。でもまさか、こんな非常事態時に、しかもホテルの部屋の中で盗まれるとは想像もしていませんでした。これがいわゆる二次被害ですね。)

なんと、海側に避難するというので、夫ともう1人男性の方が「あり得ない。津波がくる」と話してバスで高台へ移動することに。バスが走り始めると案の定、海水が陸地に押し寄せてきています。私たちは貸切の大型バスに乗っていたのですが、それでも車体の半分まで水が迫ってきた時、ここで放り出されたらどうするのだ?と、二度目の死を意識しました。でも、バスは何とか動いてくれて、高台へ逃げることができたのです。はぁ〜、こんな経験、したくてもできないですよね・・・。
※災害調査報告書によれば、この時まさに私たちが逃げた海岸線では、最大3メートルの津波があったそうです。

その後も余震が続き、続々と高台に人々が避難してきました。辺りは真っ暗闇で、何が何だかわかりません。情報も入ってこないですし。バスはエンジンを切り、寒さが身にこたえます。なぜか、夫のリュックの中に雨よけのポンチョがひとつ入っていて、それをかぶって寒さをしのぎました。この先のことを思うと、ショックと不安で胸がおしつぶされそうでしたが、夫がいてくれて本当に心強かったです。夜も更けて、イカのホテルが避難所として機能しているということで移動することになりました。地震発生から8時間以上は経っていたのではないでしょうか。2人で一枚の毛布をもらって横になりました。クラッカーと熱いお湯が用意されていて、本当にありがたかったです。ただし、トイレはどこも詰まって大変な状況になっていました。

ペルー地震と津波の被害状況 ペルー地震と津波の被害状況 ペルー地震と津波の被害状況 ペルー地震と津波の被害状況 ペルー地震と津波の被害状況 ペルー地震と津波の被害状況 ペルー地震と津波の被害状況 ペルー地震と津波の被害状況 ペルー地震と津波の被害状況
↑夜が明けてすぐに、宿泊予定だったパラカスのホテルへ荷物を取りに戻った時の様子です。今回の旅行ではもうひとつデジカメを持ってきており、そちらは私のウェストバックに入れていたため助かりました。地震以降の写真はこのデジカメで撮影しました。ホテルの部屋も水浸しで、位置によっては置いていた荷物もぐちゃぐちゃになってしまっていたようです。水が引いた後には海草がびっしりと残っていました。魚もあちこちに転がっていましたねぇ。

後日談ですが、夫は地震の揺れより、後から発生する津波が何よりも恐ろしかったそうです。最悪、スーツケースにつかまって浮いていこうと考えていたとか。押し寄せる津波に流されたら、もう命の保障はないだろうって。確かに、スマトラ沖大地震の時に発生したプーケットの津波被害は凄まじいものがありました。あんなことが起きていたらと考えるだけで、今でも鳥肌が立ちます。現地ガイドのオノジマさんも、津波は経験したことがないと言ってましたし。天災というものは、想像を絶する恐ろしさがありますね・・・。


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