世界遺産に魅せられて旅した我が家の旅行記。世界七不思議といわれる遺跡は圧巻!

世界遺産を見に行こう!
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世界遺産を見に行こう!マチュピチュと恐怖のペルー大地震

■旅行出発前の下準備

2007年、新・世界の七不思議に選ばれたマチュピチュは、以前にも増して世界中からの関心を集めました。ちょうど同時期、以前から計画を立てながらもなかなか都合がつかずにいた夫は、マチュピチュ行きを即断即決。数多くあるマチュピチュのツアープランの中からユーラシア旅行社を選んだのは5月末でした。決め手はマチュピチュに一泊してじっくり見学ができることと、ナスカの地上絵を陸と空から堪能できること。6月になるとツアーの割引がなくなるということで、思い切って申し込みました。

地球の裏側と聞いて及び腰だった私も、NHKスペシャルでマチュピチュ特集に夢中になり、いつの間にか異国の地への訪問が楽しみで仕方なくなっていました。NHK出版から出ている『失われた文明 インカ』や『地球の歩き方 ペルー』を読破。また、夫からは「体力勝負」と半ば脅されていたため、できる限り一緒にウォーキングをしてきました。ほんとに体力ついているのかしらん?と半信半疑でしたが、実際ワイナピチュと月の神殿を歩いて制覇し、現地ガイドさんにも驚かれたので、歩いていて良かったと思います。寝不足と食べ過ぎによる疲労以外は、夫婦ともに高山病にかかることもありませんでした。

行きも帰りもアメリカ経由だったので、スーツケースについては迷いました。ベルトやダイヤルロックタイプのTSAロックもありましたが、この際だからとTSAロック付きのスーツケースを購入しました。面倒なこともなく快適でした。1万円ちょっと出せば、Mサイズのしっかりしたものが買えます。

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■「リマ到着」 2007年8月11日(土) 日本快晴 リマ快晴

ペルーマチュピチュ旅行1日目。
留守中の新聞も止めてもらったし、出掛ける準備は万端。国内線の成田行きは満席だったため、羽田着で成田へ移動。成田到着後は、すぐにドコモのサービスカウンターへ出向き、予約していた海外用の携帯電話を受け取りました。iモードから簡単に予約申込ができます。その後、今回のツアー添乗員さんと、ツアーでご一緒する総勢13名の皆さんが顔合わせをしました。

後は寝ながら運ばれるだけなのに、空港内でお昼をがっつりと食べ、コンチネンタル航空にて成田を15時55分出発。乗り継ぎのヒューストンまでは14時間のフライトでした。その間、機内食が3回。ヒューストンからリマへは7時間。この機内食は2回。トータル21時間の間に5回食べ、後はひたすら寝てました。胃も少々もたれ気味に・・・(当たり前だ)。実はこのヒューストンでの乗り継ぎで、今回の旅行の行く末を暗示させるかのような驚くべき出来事が。。。

なんと、ツアーの添乗員さんがリマ行きの飛行機に乗れなかったのです。というのも、ユーラシア旅行社の別ペルーツアー組が同じフライトだったのですが、そちらのお客さんが入国審査で引っかかり、なぜか私たち9日間組の添乗員さんが付き添って一緒にアウトになってしまったんですねぇ。そもそも、乗り継ぎの時間が2時間足らずしかなく、ものすごい人ごみの中、私たちも焦りまくりました。最後は搭乗口まで走りましたよ〜。こんな時、周りに合わせていたらいけません。とにかく、片言の英語でも係員にフライト時刻を示して前へ前へ行くことが肝心です。乗り遅れた添乗員さんはヒューストンに1泊し、翌日同時刻のフライトでリマへ飛び、3日目からの合流となりました。いや〜、しかしねぇ、我々ツアーの添乗員さんが違うツアーのお客さんに付き添い、搭乗できなかったことには甚だ疑問です。我々ツアー組の13名は全員乗れていましたし、別ペルーツアー組にもちゃんと添乗員がついているんですし・・・。あいまいにせず、きちんとした状況説明が欲しかったです。


↑リマの空港に降り立ったのが22時50分。


↑赤ジャンパー姿が頼もしい、現地ツアーガイドのオノジマさんが出迎えてくれ、添乗員不在の間もお世話してくださったのでした。ミッキーツアーという、ペルーでは常に売上ベスト10に入るエージェントに所属しているオノジマさんは、連日大忙しのようです。


↑今日は土曜日、リマの人たちは朝まで踊り明かすことが多いそうで、ホテル1階にあるディスコも賑わっていました。でも、部屋からのぞいたリマの夜は、何とも静かでありました。
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